水滸伝は主人公、ストリーがなかなか定まらない。初めのうち登場人物が関連は保ちながらも、目まぐるしく変わるのだ。前知識としては梁山泊の宋江なる人物が主人公なのだが、なかかな出てこない。第十八回<林沖水寨大併火 晁蓋梁山小奪泊>、第十九回 < 梁山泊義士尊晁蓋 鄆城縣月夜走劉唐>で、それまでの梁山泊の頭領王倫を殺害して晁蓋のグループが主導権を握るのだが、まだ宋江は含まれていない。目まぐるしく変わる登場人物だが、忘れたころにこれまた関連を保ちながら、再登場し、紆余曲折しながらさらに話が進んで行く。いわば伏線がかなり長く交錯しているのだ。
原文は《水滸傳》目錄 http://www.angelibrary.com/oldies/shuihu/ を使わしてもらう。この《水滸傳》目錄では第一回は<王教頭私走延安府 九紋龍大鬧史家村>だが、私がだいぶ前に購入し、今読んでいる台湾本ではこれが第二回になっている。 《水滸傳》目錄では<楔子>として<張天師祈禳瘟疫 洪太尉誤走妖魔>があり、これが台湾本では第一回だ。
この Blog のタイトルは<水滸伝(手へんの漢字について)>で、水滸伝の原文を読みながら中国語(やや古い文章語、口語も一部ある)を学ぶことが目的だ。中国の古典長編小説に挑戦するのは封神演義に続いて二つ目だ。中国語の文章は慣れてくると、日本人は漢字、漢文の素養がそこそこあるので辞書をひきひきだが原文で読めるようになる。しかしいくつかの障害がある。第一は文化背景で、中国では、特にアメリカと違って、歴史がとてつもなく長いせいか、古くからのことわざ、世間でよく知られている言い回し、あるいはいわゆる四字成語がかなり頻繁につかわれるのだ。現代の日本人も幾つかは知っているが、本場中国人にはとてもかなわない。大体わからないのだ。これらは辞書に当たればわかるし、背景にストーリがあるので記憶に残りやすい。次に私が発見した障害は、意外だが、手へんの漢字だ。もちろんいくつかは日本語でも使われており、また意味もほぼ同じなのだが、見慣れない、まったく見当がつかない手へんの漢字が多い。辞書をひき意味がわかり、ストーリもついていけるのだが、なぜか記憶に残りにくく、何度も同じ手へん漢字を辞書で調べることになる。そこで、考えついたのが<水滸伝(手へんの漢字について)>で、水滸伝を原文で読むばかりでなく、手へん漢字障害ものり越こそうという算段なのだ。第一回<王教頭私走延安府 九紋龍大鬧史家村>も伏線だが、その後なにがおこるのか見当がつかない。
(注)原文は繁体字だが、解説は簡体字からの引用が多い。 違和感のある人のため、一部は日本漢字に替えている。
第一回 王教頭私走延安府 九紋龍大鬧史家村
話說故宋,哲宗皇帝在時,其時去仁宗天子已遠,東京,開封府,汴梁,宣武軍便有一個浮浪破落戶子弟,姓高,排行第二,自小不成家業,只好刺鎗使棒,最是踼得好腳氣毬。京師人口順,不叫高二,卻都叫他做高毬。後來發跡,便將氣毬那字去了『毛傍』,添作『立人』,改作姓高,名俅。這人吹彈歌舞,刺槍使棒,相撲頑耍,亦胡亂學詩書詞賦;若論仁義禮智,信行忠良,卻是不會,只在東京城裏城外幫閒。因幫了一個生鐵王員外兒子使錢,每日三瓦兩舍,風花雪月 ,被他父親在開封府裏告了一紙文狀,府夬把高俅斷了二十脊杖,送配出界發放 ,東京城裏人民不許容他在家宿食。高俅無計奈何,只得來淮西,臨淮州,投奔 一個開賭坊的閒渶柳大郎,名喚柳世權。他平生專好惜客養閒人,招納四方干隔 澇渶子。高俅投托得柳大郎家,一住三年。後來哲宗天子因拜南郊,感得風調雨順,放寬恩,大赦天下,那高俅在臨淮州因得了赦宥罪犯,思量要回東京。這柳世權卻和東京城裏金梁橋下開生藥舖的董將仕是親戚,寫了一封書札,收拾些人事盤纏,齎發高俅回東京投奔董將仕家過活。當時高俅辭了柳大郎,背上包裹, 離了臨淮州,迤邐回到東京,逕來金梁橋下董生藥家下了這一封書。董將仕一見高俅,看了柳世權來書,自肚裏尋思道:『這高俅,我家如何安得著遮著他?若是個志誠老實的人,可以容他在家出入,也教孩兒們學些好;他卻是個幫閒破落戶,沒信的人,亦且當初有過犯來,被斷配的人,舊性必一肯改,若留住在家中 ,倒惹得孩兒們不學好了。』待不收留他,又撇不過柳大郎面皮,當時只得權且歡天喜地相留在家宿歇,每日酒食管待。住了十數日,董將仕思量出一個路數, 將出一套衣服,寫了一封書簡,對高俅說道:『小人家下螢火之光,照人不亮, 恐後誤了足下。我轉薦足下與小蘇學士處,久後也得個出身。足下意內如何?』 高俅大喜,謝了董將仕。董將仕使個人將著書簡,引領高俅逕到學士府內。門吏轉報。小蘇學士出來見了高俅,看了來書。知道高俅原是幫閒浮浪的人,心下想道:『我這裏如何安著得他?不如做個人情,藨他去駙王晉卿府裏做個親隨;人都喚他做小王都太尉,他便歡喜這樣的人。』當時回了董將仕書札,留高俅在府裏住了一夜。次日,寫了一封書呈,使個幹人送高俅去那小王都太尉處。這太尉乃是哲宗皇帝妹夫,神宗皇帝的駙馬。他喜愛風流人物,正用這樣的人;一見小蘇學士差人持書送這高俅來,拜見了便喜;收留高俅在府內做個親隨。自此,高俅遭際在王都尉府中,出入如同家人一般。自古道:『日遠日疏,日親日近。』 忽一日,小王都太尉慶生辰,分付府中安排筵宴;專請小舅端王。這端王乃是神 宗天子第十一子,哲宗皇帝御弟,現掌東駕,排號九大王,是個聰明俊俏人物。 這浮浪子弟門風幫閒之事,無一般不曉,無一般不會,更無一般不愛;即如琴棋 書畫,無所不通,踢毬打彈,品竹調絲,吹彈歌舞,自不必說。當日,王都尉府中準備筵宴,水陸俱備。請端王居中坐定,太尉對席相陪。酒進數杯,食供兩套 ,那端王起身淨手,偶來書院裏少歇,猛見書案上一對兒羊脂玉碾成的鎮紙獅子 ,極是做得好,細巧玲瓏。端王拿起獅子,不落手看了一回,道:『好!』王都尉見端王心愛,便說道:『再有一個玉龍筆架,也是這個匠人一手做的,卻不在手頭,明日取來,一併相送。』端王大喜道:『深謝厚意;想那筆架必是更妙。 』王都尉道:『明日取出來送至宮中便見。』端王又謝了。兩個依舊入席。飲宴至暮,盡醉方散。端王相別回宮去了。次日,小王都太尉取出玉龍筆架和兩個鎮紙玉獅子,著一個小盒子盛了,用黃羅包袱包了,寫了一封書呈,卻使高俅送去 。高俅領了王都尉鈞旨,將著兩般玉玩器,懷中揣著書呈,逕投端王宮中來。把門官吏轉報與院公。沒多時,院公出來問道:『你是那個府裏來的人?』高俅施禮罷,答道:『小人是王駙馬府中特送玉玩器來進大王。』院公道:『殿下在庭心裏和小黃門踢氣毬,你自過去。』高俅道:『相煩引進。』院公引到庭門。高俅看時,見端王頭戴軟紗唐巾;身穿紫繡龍袍;腰繫文武雙穗絛;把繡龍袍前襟拽起扎揣在絛兒邊;足穿一雙嵌金線飛鳳靴;三五個小黃門相伴著蹴氣毬。高俅不敢過去衝撞,立在從人背後伺侯。也是高俅合當發跡,時運到來;那個氣毬騰地起來,端王接個不著,向人叢裏直滾到高俅身邊。那高俅見氣毬來,也是一時的膽量,使個『鴛鴦拐,』踢還端王。端王見了大喜,便問道:『你是甚人?』 高俅向前跪下道:『小的是王都尉親隨;受東人使令,送兩般玉玩器來進獻大王。有書呈在此拜上。』端王聽罷,笑道:『姐夫真如此掛心?』高俅取出書呈進上。端王開盒子看了玩器。都遞與堂候官收了去。那端王且不理玉玩器下落, 卻先問高俅道:『你原來會踢氣毬?你喚做甚麼?』高俅叉手跪覆道:『小的叫高俅,胡亂踢得幾腳。』端王道:『好,你便下場來踢一回耍。』高俅拜道:『 小的是何等樣人,敢與恩王下腳!』端王道:『這是齊雲社,名為天下圓,但踼何傷。』高俅再拜道:『怎敢。』三回五次告辭,端王定要他踼,高俅只得叩頭謝罪,解膝下場。纔踼幾腳,端王喝釆,高俅只得把平生本事都使出來奉承端王 ,那身分,模樣,這氣毬一似鰾膠黏在身上的!端王大喜,那肯放高俅回府去, 就留在宮中過了一夜;次日,排個筵會,專請王都尉宮中赴宴。卻說王都尉當日晚不見高俅回來,正疑思間,只見次日門子報道:『九大王差人來傳令旨,請太尉到宮中赴宴。』王都尉出來見了幹人,看了令旨,隨即上馬,來到九大王府前 ,下了馬,入宮來見了端王。端王大喜,稱謝兩般玉玩器,入席,飲宴間,端王說道:『這高俅踢得兩腳好氣毬,孤欲索此人做親隨,如何?』王都尉答道:『 既殿下欲用此人,就留在宮中伏侍殿下。』端王歡喜,執杯相謝。二人又閒話一回,至晚席散,王都尉自回駙馬府去,不在話下。且說端王自從索得高俅做伴之後,留在宮中宿食。高俅自此遭際端王每日跟隨,寸步不離。未兩個月,哲宗皇帝晏駕,沒有太子,文武百官商議,冊立端王為天子,立帝號曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。登基之後,一向無事,忽一日,與高俅道:『朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。』只是做隨駕遷轉的人。後來沒半年之間,直抬舉高俅做到殿帥府太尉職事。
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1)話說故宋,哲宗皇帝在時,其時去仁宗天子已遠,東京,開封府,汴梁,宣武軍便有一個浮浪破落戶子弟,姓高,排行第二,自小不成家業,只好刺鎗使棒,最是踼得好腳氣毬。京師人口順,不叫高二,卻都叫他做高毬。後來發跡,便將氣毬那字去了『毛傍』,添作『立人』,改作姓高,名俅。
これは出だしの一節で、時代背景が簡単に述べられている。時代は北宋末期で、皇帝は
太祖 (在位960年-976年) -> 太宗 -> 真宗 -> 仁宗 -> 英宗 ー> 神宗 ->哲宗 (在位1076年-1100年) ー> 徽宗 (在位1100年-1125年)
で、あとから徽宗が出てくるので、1100年ころの話だ。日本では平安時代の後半。鎌倉幕府ができるのは1192年。北宋時代は中国文化の高潮期で、日本文化への影響は大きい。特に徽宗は芸術愛好皇帝で、その分政治、軍事はおろそかになり、水滸伝に出てくるような反政府活動が多くなってきていたようだ。<東京>はもちろん日本の東京ではなく開封(府)のこと。あとから北京(大名府)というのがときどきでてくるが、これもいまの北京ではなく、北にはあるがもっと開封(府)に近い。宋朝の歴史や地図はインターネットで調べられる。南京(應天府)というのもあるが、水滸伝では出てこない。これも今の南京ではなく今の河南省商丘市で開封(府)の南にはあるが、いまの南京ほど遠くはない。今の南京は当時は建康で、これは水滸伝の終わりのほうで少し出てくる。建康は南宋の首都だ。
<排行第二>の<排行>は兄弟の順が2番目ということ。日本でも一郎(太郎)、二(次)郎、三郎 、四郎だ。姓が高で兄弟の順が二番目なので<高二>と呼ばれるはずなのだが、腳氣毬(けまり)が得意なので<高毬>、さらには毛を人に替えて<高俅>と呼ばれるようになった、ということだ。中国では<列に並ぶ>ことを排隊と言い、よく聞く。また<毛傍>は<毛へん>のことのようだ。
2)這人吹彈歌舞,刺槍使棒,相撲頑耍,亦胡亂學詩書詞賦;若論仁義禮智,信行忠良,卻是不會,只在東京城裏城外幫閒。
<相撲>は当時の中国の相撲(すもう)か?興味のある人は調べてみたらどうか? 手へん漢字 <撲>はほかの意味があり、後から出てくるので、そのときに説明する。頑耍の<耍>は必要の<要>に似ているがちがう。<耍>の原義は<遊ぶ>でこのあともよく出てくる。頑耍は文字通りでは<頑固に遊ぶ>だが、想像を働かせれば<相撲をよくした、強かった>となる。<若論 .........、卻是 .........、>は係り結びのようで、多分<仁義禮智,信行忠良といえば、これはダメで、>といった意味だろう。<幫閒>は古い日本語にはあったようで、Japan-wiki に
”
幇間(ほうかん、たいこ)は、宴席やお座敷などの酒席において主や客の機嫌をとり、
”
という解説がある。<幫閒>もそれほど違わないだろう。
因幫了一個生鐵王員外兒子使錢,每日三瓦兩舍,風花雪月 ,被他父親在開封府裏告了一紙文狀,府夬把高俅斷了二十脊杖,送配出界發放 ,東京城裏人民不許容他在家宿食。高俅無計奈何,只得來淮西,臨淮州,投奔 一個開賭坊的閒渶柳大郎,名喚柳世權。
この箇所は当時の社会、生活、文化背景の知識がないと難しい。
員外:baike/baidu の解説
1、 [ministry councillor]:古指正员以外官员(全称为“員外郎”)
2、 [landlord]:指地主豪绅(多见于早期白话)
结交此间一个大财主赵员外,养做外宅。——《水滸伝》
員外はここ以外にもでてくるが、民間の金持ち、と言えるようだ。
員外はここ以外にもでてくるが、民間の金持ち、と言えるようだ。
三瓦兩舍: baike/baidu の解説
【解释】: 瓦、舍:宋、元时指妓院及各种娱乐场所。旧指富家子弟寻欢作乐的地方。
風花雪月:花鳥風月に似ているので優雅な生活のようだが、文脈に合わない。 baike/baidu の解説は
原指古典文学作品里描写自然景物的四种对象。后来比喻堆砌辞藻、内容空泛的诗文。也指爱情之事或花天酒地的荒淫生活。
となっている。つまりは<荒淫生活>なのだ。これで文脈に合う。
文狀:この箇所を例文にした解説がある。http://tw.ichacha.net/hy/%E6%96%87%E7%8B%80.html
文狀: 2. 指诉状。
▶ 《水浒传》第二回: “﹝ 高俅 ﹞因帮了一个生铁 王员外 儿子使钱, 每日三瓦两舍, 风花雪月, 被他父亲 开封府 里告了一纸文状……迭配出界发放。” 日本の起訴状か?
斷了二十脊杖: <斷>は判決をくだす。<二十脊杖>は背中へのむち打ち20回だろう。
淮西,臨淮州: これは地名だが、北宋時代の地図を見ると現代中国では徐州と揚州の中間あたりにある。
閒渶: これはどうも<閒漢>の間違いのようだ。
<投奔>は水滸伝では頻繁にでてくる。<誰々のもとに身を投じる>ことだが、水滸伝のテーマの一つと言える。
3)高俅投托得柳大郎家,一住三年。後來哲宗天子因拜南郊,感得風調雨順,放寬恩,大赦天下,那高俅在臨淮州因得了赦宥罪犯,思量要回東京。這柳世權卻和東京城裏金梁橋下開生藥舖的董將仕是親戚,寫了一封書札,
<投托>は上の<投奔>+<托す(託す)>でいいだろう。三年後に高俅は哲宗天子が発した恩赦のおかげで、都(東京、開封)に戻ることになる。
4)收拾些人事盤纏,齎發高俅回東京投奔董將仕家過活。
<收拾>はの本後の<xxの事態を収拾>の<収拾>の意味もあるようだが、ここは<収める + 拾う>で<もらう>でいいだろう。何をもらったかだが、それは続く<人事盤纏,齎發>。これは<人事、盤纏、齎發>と分けるべきだが、このような書き方が後からも出てくるので、注意。<人事>は日本語の人事(じんじ)ではない。
人事:baike/baidu の解説
人事沧桑,
人事不可量。
(2)关于工作人员的录用、培养、调配、奖惩等工作(也就是所谓的人力资源管理师所从事的工作)
人力资源规划、招聘与配置、培训与开发、绩效管理、薪酬福利管理、劳动关系管理。
(3)人的意识的对象
不省人事
(4)馈赠的礼物
见面礼,礼物
とあり、ここでは<礼物>だろう。盤纏,齎發は見たことがないだろうが水滸伝ではよく出てくる。水滸伝の登場人物たちはよく長旅に出る。
盤纏:盘缠是古代的路费。古钱是中间有孔的金属硬币,常用绳索将一千个钱币成串再吊起来,人们在出远门办事探亲之时,只能带上笨重的成串铜钱,把铜钱盘起来缠绕腰间,既方便携带又安全,因此古人将这又“盘”又“缠”的旅费叫“盘缠”了。(baike/baidu)つまりは路费(旅費)だが紙幣がなかったので、かなり重かっただろう。
盤纏:盘缠是古代的路费。古钱是中间有孔的金属硬币,常用绳索将一千个钱币成串再吊起来,人们在出远门办事探亲之时,只能带上笨重的成串铜钱,把铜钱盘起来缠绕腰间,既方便携带又安全,因此古人将这又“盘”又“缠”的旅费叫“盘缠”了。(baike/baidu)つまりは路费(旅費)だが紙幣がなかったので、かなり重かっただろう。
齎發:赠与;给人钱财帮助、(齎發)路费
つまりは餞別(せんべつ)だろう。
つまりは餞別(せんべつ)だろう。
あとの<投奔>はすでに出てきた。
5)當時高俅辭了柳大郎,背上包裹, 離了臨淮州,迤邐回到東京,逕來金梁橋下董生藥家下了這一封書。董將仕一見高俅,看了柳世權來書,自肚裏尋思道:『這高俅,我家如何安得著遮著他?若是個志誠老實的人,可以容他在家出入,也教孩兒們學些好;他卻是個幫閒破落戶,沒信的人,亦且當初有過犯來,被斷配的人,舊性必一肯改,若留住在家中 ,倒惹得孩兒們不學好了。』待不收留他,又撇不過柳大郎面皮,當時只得權且歡天喜地相留在家宿歇,每日酒食管待。
<撇>はなじみがないが水滸伝ではよく出てくる。
撇 piē
丢开,抛弃:撇开。撇弃。
日本語では<捨て去る>と言うよりは<見捨てる、捨ててかえりみない、無視する>だ。<斷配>は流刑だ。
<撇不過柳大郎面皮>は、<面皮>が面子(メンツ)の意なので、<柳大郎の面子を無視するわけにもいかず>といったところだ。
幫閒破落戶の<幫閒>は説明した。<破落戸>は<ゴロツキ>。<斷配>は流刑だ。<破落戸>、<斷配>ともよく出てくる、というか水滸伝の多くの登場人物たちの境遇だ。
<撇>のまえの<待不收留他>がよくわからない。<待>はいくつかの意味がある。
(1)待 dài
1. 等,等候:~到。~旦。拭目以~。(日本語の<待つ>)
2. 以某种态度或行为加之于人或事物:对~。招~。~遇。~人接物。 (日本語では接待というのがある)
3. 将,要(古典戏曲小说和现代某些方言的用法):正~出门,有人来了。
(2)待 dāi
停留,逗留,迟延:你~一会儿再走。これに続く話の内容からすると<(とりあえず)受け入れない(拒絶する)のは待って、彼を留め置いた>の意か?
6)住了十數日,董將仕思量出一個路數, 將出一套衣服,寫了一封書簡,對高俅說道:『小人家下螢火之光,照人不亮, 恐後誤了足下。我轉薦足下與小蘇學士處,久後也得個出身。足下意內如何?』 高俅大喜,謝了董將仕。董將仕使個人將著書簡,引領高俅逕到學士府內。門吏轉報。小蘇學士出來見了高俅,看了來書。知道高俅原是幫閒浮浪的人,心下想道:『我這裏如何安著得他?不如做個人情,藨他去駙王晉卿府裏做個親隨;人都喚他做小王都太尉,他便歡喜這樣的人。』當時回了董將仕書札,留高俅在府裏住了一夜。次日,寫了一封書呈,使個幹人送高俅去那小王都太尉處。這太尉乃是哲宗皇帝妹夫,神宗皇帝的駙馬。他喜愛風流人物,正用這樣的人;一見小蘇學士差人持書送這高俅來,拜見了便喜;收留高俅在府內做個親隨。
<路數>は文脈から推測がつくが、水滸伝からの例文の多い解説を見つけた。
- 道路;路徑。
《水滸傳》第五十回:“ 孫立 又暗暗地使 鄒淵 、 鄒潤 、 樂和 去后房里把門戶都看了出入的路數。” - 引申指所經過的路線。
《水滸傳》第十六回:“ 公孫勝 道:‘這一事不須去了。貧道已打聽知他來的路數了。只是 黃泥岡 大路上來。’” - 門路。
- 底細。
- 方法;辦法。
《水滸傳》第二回:“住了十數日, 董將士 思量出一個路數。”
- 道路;路徑。
これはずいぶん持って回った言い方だ。 <恐後誤了足下>の<後誤>の意味がよくわからないが<後で誤らす結果になる>、あるいは<後れを取らしたり、誤らせたりする>といった意味か? <足下>は貴殿。
つまりは体(てい)よく 高俅を小蘇學士のところに追い出す手段なのだ。小蘇學士もこの幫閒で浮浪人(破落戸、ゴロツキ)は受け入れたくなく、小王都太尉を紹介する。この太尉は哲宗皇帝妹夫,神宗皇帝的駙馬だ。
太尉は役名で高位の軍人(武人)。駙馬も役名だが、やや複雑。China-wiki の解説。
駙馬原是官職名称,最早出現在漢武帝时期,全称為駙馬東院都尉。由於駙馬經常成為公主(princess)之夫或授此官職予公主之夫,後來就變成公主之夫專有的稱謂。
<一見小蘇學士差人持書送這高俅來>の<持>は<持つ>だ。<一見>がよくわからないが、
<小蘇學士差人持書送這高俅來>は<小蘇學士は書面を持った人を差し向けえてこの高俅を送って来た>なので、<一見>は<(小蘇學士は書面を持った人を差し向けえてこの高俅を送って来たの)を見ると、一度見ただけで>の意か?
<親隨>は跟隨左右侍候的人で、つまりは<付き人、そばにいて雑用をする人>のようだ。
7)自此,高俅遭際在王都尉府中,出入如同家人一般。自古道:『日遠日疏,日親日近。』 忽一日,小王都太尉慶生辰,分付府中安排筵宴;專請小舅端王。這端王乃是神宗天子第十一子,哲宗皇帝御弟,現掌東駕,排號九大王,是個聰明俊俏人物。 這浮浪子弟門風幫閒之事,無一般不曉,無一般不會,更無一般不愛;即如琴棋 書畫,無所不通,踢毬打彈,品竹調絲,吹彈歌舞,自不必說。
<出入如同家人一般>は<出入りは家人と同じが如く>の意だが、最後の<一般>は何か?
<出入如同家人一般>は中国語の言い方で、<同>は<同じ>ではなく助詞(英語で言えば前置詞)で日本語の<xxと>の<と>だ。そして<一般>のほうに<同じ>のような意味がある。現代(口)語では<一様>を使うようだ。つまり<同 xx 一様>と言う。
自古道:『日遠日疏,日親日近。』は冒頭でのべた<古くからのことわざ、世間でよく知られている言い回し、あるいはいわゆる四字成語>の類で、これは初対面でも察しがつく。<日遠日疏>は<去る者は日日に疎し>というのがある。<日親日近>も<近ければ、親しくなる>だろう。
<慶生辰>の<生辰>は誕生日。
小舅端王。這端王乃是神宗天子第十一子:小舅は<1.母弟.即最小的舅舅,2.妻弟.即小舅子>だが、ここでは、小王都太尉は上記の通り哲宗皇帝の妹の夫だが、哲宗は神宗(天子)の第六子なので、2.妻弟だ。小王都太尉は哲宗皇帝の妹の夫だ。哲宗は神宗(天子)の第六子。この端王が後の天子徽宗だ。掌東駕は東宮(皇太子)の意か? 中国人でもよくわからないようだ。
古人因太子居东宫,常以东宫为太子的代称;推而论之,则太子之驾亦称东驾,复以东驾为其代称。此种称谓,明以前罕见,而屡见于明人的笔记小说。这也许是明人用语的习惯。《水浒》成书于元末明初,其第二回有端王“见掌东驾”之说,恰恰体现了当时文人的口吻。
<排號九大王> の<排>は冒頭にでてきた<排行>の類だが、
<踢毬打彈>は<踢毬、打彈>で<踢毬>や<打彈>。<打彈>は当時の遊びの一つで、次のような解説がある。
打彈:用棒捶球。以將球擊入遠處的窩穴中為勝。《永樂大典戲文三種.張協狀元.第二出》:「築毬打彈謾徒勞,設意品笙簫。」《水滸傳.第二回》:「踢毬打彈,品竹調絲,吹彈歌舞,自不必說。」
この解説からすると当時の中国式ゴルフか。
8)當日,王都尉府中準備筵宴,水陸俱備。請端王居中坐定,太尉對席相陪。酒進數杯,食供兩套 ,那端王起身淨手,偶來書院裏少歇,猛見書案上一對兒羊脂玉碾成的鎮紙獅子 ,極是做得好,細巧玲瓏。端王拿起獅子,不落手看了一回,道:『好!』王都尉見端王心愛,便說道:『再有一個玉龍筆架,也是這個匠人一手做的,卻不在手頭,明日取來,一併相送。』端王大喜道:『深謝厚意;想那筆架必是更妙。 』王都尉道:『明日取出來送至宮中便見。』端王又謝了。兩個依舊入席。飲宴至暮,盡醉方散。端王相別回宮去了。次日,小王都太尉取出玉龍筆架和兩個鎮紙玉獅子,著一個小盒子盛了,用黃羅包袱包了,寫了一封書呈,卻使高俅送去 。高俅領了王都尉鈞旨,將著兩般玉玩器,懷中揣著書呈,逕投端王宮中來。把門官吏轉報與院公。
<水陸俱備>は食べ物のこと。水:指水水産,海味;陸:指陸産,山珍;俱:全。各種山珍海味都有。(baike/baidu)
偶來書院裏少歇
<偶>は偶然の意だろう。<少歇>は<少し、しばし休む、休憩する>。<少歇>はよく出てくる。
猛見書案上一對兒羊脂玉碾成的鎮紙獅子
猛見書案上一對
猛 měng
1. 气势大,力量大:~将。~士。~烈。勇~。
2. 忽然,突然:~然。~省(xǐng )(亦作“猛醒”)。~可(突然,陡然)。~不防。
ここは2.忽然,突然だろう。
書案は意外だが長形写桌、つまり<書きもの机>。獅子のほかに同じ巧(たくみ)が作った龍の形の筆架(筆掛け)が別のところにあるので、これをも贈ろうということになった。そして、<桌>はテーブルのことだが、おそらく背の低いものだろう。当時椅子がどの程度つかわれていたか調べていないが、おそらく椅子なしで使うテーブルと考えられる。
兒羊脂玉
一種品質極好的白玉。因其玉質光滑細緻,色澤如脂,就如剛切開的肥羊肉般,故稱為「羊脂玉」。《水滸傳.第二回》:「見書案上一對兒羊脂玉碾成的鎮紙獅子,極是做得好。」
碾成の<碾>が難しいが、文脈と字面(じづら)と文脈からは<碾き臼(石臼)で伸ばす、平らにする、展開する>が考えられるが
⑺磨制;雕琢玉石。属書面語、という解説がある。
つまり<兒羊脂玉碾成的鎮紙獅子>は上記の兒羊脂玉を雕琢して成した(作った)獅子の形をした鎮紙、ということ。<鎮紙>は文鎮(ぶんちん)と想像がつく。一對なので一個ではなくペアだ。端王はさすが芸術愛好家で、この獅子文鎮が気に入った。獅子文鎮のほかに同じ巧(たくみ)が作った筆架(筆掛け)が別のところにあるので、これをも贈ろうということになった。そして高俅が龍筆架と兩個鎮紙玉獅子を端王に送り届けることになる。
高俅領了王都尉鈞旨,將著兩般玉玩器,懷中揣著書呈,逕投端王宮中來。把門官吏轉報與院公。
<鈞旨>もよく出てくる。
鈞旨:尊称上司的命令,是中国封建社会时对帝王将相下的命令或发表的言论的尊称。 (baike/baidu)
高俅領了王都尉鈞旨,將著兩般玉玩器,懷中揣著書呈,逕投端王宮中來。把門官吏轉報與院公。
<鈞旨>もよく出てくる。
鈞旨:尊称上司的命令,是中国封建社会时对帝王将相下的命令或发表的言论的尊称。 (baike/baidu)
<揣>は<放在衣服里:~着手。~在懐里。>なので、<懐(ふところ)に入れる>だ。
<逕投>の<投>は<投じる>ですでにでてきた。<逕投>で<赴(おもも)く>といったところだろうが、<逕投端王宮中來>は最後に<來>があり、しかもその前に<中>がある。つまり<端王宮の中に身を投じて(入って)来た>ともなる。この<來>の使い方(並べ方)は頻繁にでてくるので、のちに検討予定。
<把門官吏轉報與院公>の<把>もこれからも頻繁にでてくるが、日本語の助詞<を>に相当する。<與>日本語の助詞<に>に相当する(ただし場所ではなく人が対象)。したがって、<把門官吏轉報與院公>は<門官吏を院公に轉報した>となるが、<門官吏に院公に伝えるように頼んだ>という意だ。<院公>はいわば端王がいる東宮の責任者といったところだ。
9)沒多時,院公出來問道:『你是那個府裏來的人?』高俅施禮罷,答道:『小人是王駙馬府中特送玉玩器來進大王。』院公道:『殿下在庭心裏和小黃門踢氣毬,你自過去。』高俅道:『相煩引進。』院公引到庭門。高俅看時,見端王頭戴軟紗唐巾;身穿紫繡龍袍;腰繫文武雙穗絛;把繡龍袍前襟拽起扎揣在絛兒邊;足穿一雙嵌金線飛鳳靴;三五個小黃門相伴著蹴氣毬。
小黃門:漢代低于黃門侍郎一级的宦官。后泛指宦官。 (baike/baidu)
相煩: 客套话,烦劳:有事~。 (baike/baidu)
客套話は敬語のこと。相煩: <(まことに)相済みませんが>といったところ。これはあとでまた出てくる。常用敬語だろう。
<文武雙穗絛>がよくわからない。腰にまきつけているので、なにか装飾のある紐(ひも)か帯だろう。
拽: zhuài 拉,牵引:拽住。拽不动。
曳航(えいこう)の<曳>に手へんだ。したがって、<曳(ひ)く、引く>の特定用途用だ。
<扎揣>は手へん漢字が二個並んでいる。まずは後ろの<揣>で、これは特殊な動作で
揣 chuāi : 放在衣服里:揣着手。揣在怀里。
その前にある<扎>は私にとって難関で、これまで何度もでくわしているが、意味を覚えていない。これを機会にできたらおぼえてしまおう。baike/baidu の解説。
扎(古代写法“紮”) 多音字
つまり、いくつか異なった発音があるということだが、当然多義語だろう。難関なわけだ。
1.zā,(1)捆,缠束:包扎、扎辫子。扎腿。(2)把儿,捆儿:一扎銭
2.zhā,用于“扎針”、“扎花”、駐扎”、“扎猛子”
3.zhá,用于“扎挣 “
さらに詳しくは1.zā だけでも相当意味がある。
zā
1. 捆绑;缠束;拴;系 [to tie; to bind; to fasten]
抄扎家私,分表大衆軍。——《水滸伝》
2. 又如:扎抹(缠绑;收拾);扎爪(拴绑;缠绑);扎一根紅頭縄;扎花環;扎包(捆在腰间的長布);扎缚(捆扎;包扎);扎脚(缠足);扎把(成捆的草把)
3.編 [to plait]。如:扎小辫儿
4. 挽上,卷起来 [to roll up]。如:扎高裤脚;扎起袖子;扎脚勒手(卷起裤脚和衣袖)
5. 趁人之危,勒索財物 [to blackmail; to extort under false pretences]。如:扎火囤(用女色設骗局詐取財物);扎詐(讹詐)
6. 捉[迷藏] [to hide and catch]。如:扎盲盲(捉迷藏);扎朦(捉迷藏)
7. 準備 [be ready]
伝令教番兵扎掂已了,来日出密雲県,与宋江交锋。——《水滸伝》
ここは<揣: 放在衣服里:揣着手。揣在懐里>の意から
4. 挽上,卷起来 [to roll up]。如:扎高裤脚;扎起袖子;扎脚勒手(卷起裤脚和衣袖)
だろう。 難関<扎>はこれからもくわしく検討する予定だが、とりあえずここでは
扎 zā :1. 捆绑;缠束;拴;系 [to tie; to bind; to fasten]: 結ぶ、縛(しば)る、締(し)める、締め上げる
を覚えておこう。
< 捆绑>は動詞。< 捆>は梱包の<梱>が手へんに変わった字。
捆 kǔn: 把散的東西用縄扎起来:捆扎。捆绑
<绑>は糸へんがついているが、ここは動詞で意味は<捆 >とほぼ同じ。このように中国語では同じような意味の動詞を並べて動詞を作る場合が多い。一字(一音)では聞き間違えやすいのだ。
<拴>も手へん漢字で同じような意味。これはあとで出てくる。
<把繡龍袍前襟拽起扎揣在絛兒邊>はしたがって<刺繍の入った龍袍の前襟を紐(帯)のところにたぐり上げて固定し>ということだ。
10)高俅不敢過去衝撞,立在從人背後伺侯。也是高俅合當發跡,時運到來;那個氣毬騰地起來,端王接個不著,向人叢裏直滾到高俅身邊。
<衝撞>の<>は衝突(しょうとつ)の<衝> 、うしろの<撞>も衝突、<ぶつかる>ことだ。現代中国語(少なくとも広東語)で車の衝突は<撞車>という。ただし、ここでは<衝撞:衝突>では意味が通じない。想像はつくが、bauke/baide の解説で、この箇所を例として取り上げている解説がある。
3.冒犯、触犯
①《水滸伝》第二回:“ 高俅不敢过去冲撞,立在从人背后伺候。”
<冒犯、触犯>がよくわからないが<あえてxxする>だろうが、いまいち。 <冒犯>の同じくbauke/baidu の解説は
冒犯,(动)指言语或行为没有礼貌,冲撞了对方。如:冒犯尊严,孩子不懂事,对孩子的不尊重,对动物的过失行为,对您多有冒犯,请原谅。
したがって、<礼儀に反してあえてxxする>ということになる。これで文脈に合う。次の<也是高俅合當發跡>は想像がつかない。
<合當>は
1. 犹(猶)应当;应该。
猶 yóu
【副】
还;仍然〖still;yet〗。多用于书面语
<發跡>は
指人在事業上得志,変得有財有勢。或指人脱離困顿状况而得志、兴起。
<得志>は<志を得る、達成する>だが、意味がかわって有財有勢。
<發跡>の<發>は<發財>の<發>、<跡>は<跡(あと)>で、<發跡>は<發財(へ)の道>と言ったところだ。前に戻って、<合當>は<応当;応該>すなわち<そうなるべき>。したがって<高俅合當發跡>は<高俅には發財(へ)の道があるべき>となる。あたまの<也是>も難しい。文字通りでは<xxもまた>なのだが、主語がないので、ここは副詞または接続詞で<あるいはまた>。也是=还是 として<それでも(なお)>が文脈にあう。つまりは<(遠慮はしていたが)それでも(なお)高俅には發財(へ)の道が用意されていたようだ>となる。将来の天子端王が遊んでいた氣毬(けまり)が高俅のところに転がり込んで(飛んで)くるのだ。
11)那高俅見氣毬來,也是一時的膽量,使個『鴛鴦拐,』踢還端王。
<也是>がまたでてきた。ここは<これまた>でよさそう。<鴛鴦拐>はけまりの技の一つだろうが、前に膽量があるので、高度な難しい、かつ派手(はで)な技(わざ)の一つだろう。
鴛鴦拐
鸳鸯拐是一个汉语词汇,意指古代踢球动作名。先后用左右外脚踝连续踢球的花样动作。(baidke/baidu)。
鴛鴦はオシドリのことでオシドリ夫婦を想像しがちだが、
鴛鴦(学名:Aix galericulata),又名鸂鶒或中國官鸭(Mandarin duck)、乌仁哈钦、五彩鸳鸯、匹鸟、邓木鸟,是經常出現在中國古代文學作品和神話傳説中的鳥類。鴛指雄鳥,鴦指雌鳥。(baike/baide)
という解説があるので、 現実のオシドリにとらわれることはない。
さて<拐>の意味だが、一字としての<拐>は
拐 guǎi
转折:拐弯。
骗:拐骗。拐卖。
走路不稳,跛:他走路一拐一拐的。
走路时帮助支持身体的棍:拐棍。双拐。
で、<骗:拐骗。拐卖>は誘拐(ゆうかい)の<拐>に通じる。
12)端王見了大喜,便問道:『你是甚人?』 高俅向前跪下道:『小的是王都尉親隨;受東人使令,送兩般玉玩器來進獻大王。有書呈在此拜上。』端王聽罷,笑道:『姐夫真如此掛心?』高俅取出書呈進上。
<姐夫>は姉(姐)の夫。<掛心>は<心を掛ける>でいいだろう。
13)高俅取出書呈進上。端王開盒子看了玩器。都遞與堂候官收了去。那端王且不理玉玩器下落, 卻先問高俅道:『你原來會踢氣毬?你喚做甚麼?』高俅叉手跪覆道:『小的叫高俅,胡亂踢得幾腳。』端王道:『好,你便下場來踢一回耍。』高俅拜道:『 小的是何等樣人,敢與恩王下腳!』端王道:『這是齊雲社,名為天下圓,但踼何傷。』高俅再拜道:『怎敢。』三回五次告辭,端王定要他踼,高俅只得叩頭謝罪,解膝下場。纔踼幾腳,端王喝釆,高俅只得把平生本事都使出來奉承端王 ,那身分,模樣,這氣毬一似鰾膠黏在身上的!端王大喜,那肯放高俅回府去,就留在宮中過了一夜;次日,排個筵會,專請王都尉宮中赴宴。
高俅只得把平生本事都使出來奉承端王 ,那身分,模樣,這氣毬一似鰾膠黏在身上的!
<把> はすでに出てきた。<平生本事都を>だ。<を>の<把>については、煩わしいので、問題がないかぎり以後説明を省略する。この箇所のその他の部分。
端王開盒子看了玩器。都遞與堂候官收了去。
前半は< 端王は小箱を開けて玩器を見た>。後半の<都遞與堂候官收了去>は(<来>と同じく)中国語的な<去(行く)>言い回し。頭の<都>は<すべて、全部>。<遞>は昔の<逓信省(その後の郵政省)の<遞>で、元の意味は<(手紙や小包を配達して)手渡す>だ。<與>はすでに出てきた<xx(ひと)に>だ。したがって<(小箱と玩器)すべてを堂候官に手渡し収めさして去らせただが、使役文ではないので<収めさし、そして堂候官は去った>とも解釈できる。この辺は文法的におもしろい。
那端王且不理玉玩器下落
<且 qiě >は接続詞。多義語だが、基本的に順接で現代語口語では順接接続詞として<就>が大活躍する。
1.尚,还,表示进一层:既高~大。尚~。况~。
2.表示暂时:苟~偷安。姑~。
3.表示将要、将近:城~拔矣。年~九十。
4.一面这样,一面那样:~走~说。
5.表示经久:这双鞋~穿呢!
<(それで)端王はしばし玩器を落と心配がなくなったので>の意だ。
<只得 zhī dé>は
1. 揂僅有,只有。
2.只好;只能;不得不。
ここは1. 揂僅有,只有 (ただ xx した)の意でも、2.只好;只能;不得不で、<ただxxするしかない>の意でもよさそう。
<平生本事>の<平生>は日本語の平生(へいせい、つね日頃の)でいいが、問題は<本事>は多義語で、水滸伝でもときどき出てくるが、少なくとも下記の二つの意味がある。
2.只好;只能;不得不。
ここは1. 揂僅有,只有 (ただ xx した)の意でも、2.只好;只能;不得不で、<ただxxするしかない>の意でもよさそう。
<平生本事>の<平生>は日本語の平生(へいせい、つね日頃の)でいいが、問題は<本事>は多義語で、水滸伝でもときどき出てくるが、少なくとも下記の二つの意味がある。
- 指真実的事迹。水滸傳.第二十三回:「武松把那打大蟲的本事,再說了一遍。」
- 指本領,技能。如:有本事。第二十七回《施恩重霸孟州道 武松醉打蔣門神》因見小人手脚活便,带小人帰去城里,教了許多本事。
<奉承(fèngcheng)>は
a) 承受的敬詞。左傳.昭公七年:「奉承以來,弗敢失隕。」
b) 諂媚討好他人。 という解説がある。 ここはおべっかを使っているところの描写と思われb) 諂媚討好他人だろう。
<身分>は<身分(みぶん、これは湯桶読み)>の意味もあるが、多義語というか英語のfigure ににている。
1.出身和社会地位。
2.模様、姿態。
3. 手段、本領 《水滸伝》第二三回:“﹝武武松﹞把那打虎的身分拳脚,細説了一遍。衆上户道:‘真乃英雄好漢!”
4. 行為、勾当。
5.質地、質量。
ここは1.出身和社会地位とも2.模様、姿態ともとれるが、このあとに模様がある。この前の部分は手へん漢字がないが、意味をとっておこう。
小的是何等樣人
<小的> は<私>の謙遜語。<何等樣人>は<いかほどの人物かでしょうか?>といったところだ。一種の反語表現。
齊雲社は蹴鞠(けまり)クラブ。実際は高俅が蹴鞠(けまり)クラブ創始者のようだ。下記参照(baike/baidu)。 これからすると、当時高俅は相当の有名人だったようだ。
北宋年间,大家所熟悉的高俅作为蹴鞠“总教练”将蹴鞠带到杭州。在南宋时期,踢球的艺人组织了自己的团体,叫做“齐云社’,又称‘圆社”。这是专门的蹴鞠组织,专事负责蹴鞠活动的比赛组织和宣传推广,这是我国最早的单项运动协会,类似于今天的足球俱乐部,换句话说,它就是世界上最早的足球俱乐部。
齐云社是全国性的,各地都有,以临安(杭州)的齐云社实力最雄厚。许多城市都有齐云社,一个人参加了齐云社,就可以到处跑码头,齐云社对他们进行技术考核,通过后即可以免费接待他们。齐云社中的社员,论技术高低分等级,最高级称校尉,女子进入校尉级的,称女校尉。
何傷: 何妨,何害。意謂沒有妨。つまりは<不妨(さまたげない)>という意だ。いわゆる反語だ。<xx してはまずいのではないか?>といった謙遜的な発言に対して<不妨>はよくでてくる。
『怎敢。』(いかにして(そのようなことが)できましょうか)も反語表現で、つぎに<三回五次告辭>とある。
<纔踼幾腳>の<纔>は<才>とほぼ同じ意味。
1. 方,始:昨天~來。現在~懂得這個道理。
2. 僅僅:~用了兩元。來了~十天。
ここは2. 僅僅(すこし)だが、水滸伝では1.方,始 (=才)の意味でよく使われる。
端王大喜,那肯放高俅回府去,就留在宮中過了一夜
ここでまた<去>が出てきた。<肯>は肯定でここは<許す>の意。<(端王は)高俅を自由にして(駙馬)府に戻させ去らせた>。だが続く<就留在宮中過了一夜>は端王を主語とすると<就(そして)一夜宮に留め置いた>なので、意味が合わない。ここで<>は<その、あの>ではなく接続詞だ。
那 nà
表示順着上文或上句話的語意,申説応有的結果〖in that case〗。如: 那我就不再等了
この例文にあるように<那>と<就>は相性がいいが、基本的に順接関係だ。したがってここは<端王大喜(端王は大喜び)、那(そこで)高俅を自由にして(駙馬)府に戻って行くことを許し、就(なおかつ)宮中で一夜過ごすことを許した>といったことだろう。続く話では高俅は(駙馬)府に戻らなかったことになっている。
排個筵會,專請王都尉宮中赴宴。
<排> は前に説明した按排の<排>。<筵會>は<集會宴請賓客>、いわば招待パーティ。
<專>は<もっぱら>。このパーティの目的は次に出てくる。
14)卻說王都尉當日晚不見高俅回來,正疑思間,只見次日門子報道:『九大王差人來傳令旨,請太尉到宮中赴宴。』王都尉出來見了幹人,看了令旨,隨即上馬,來到九大王府前 ,下了馬,入宮來見了端王。端王大喜,稱謝兩般玉玩器,入席,飲宴間,端王說道:『這高俅踢得兩腳好氣毬,孤欲索此人做親隨,如何?』王都尉答道:『 既殿下欲用此人,就留在宮中伏侍殿下。』端王歡喜,執杯相謝。二人又閒話一回,至晚席散,王都尉自回駙馬府去,不在話下。且說端王自從索得高俅做伴之後,留在宮中宿食。高俅自此遭際端王每日跟隨,寸步不離。未兩個月,哲宗皇帝晏駕,沒有太子,文武百官商議,冊立端王為天子,立帝號曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。登基之後,一向無事,忽一日,與高俅道:『朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。』只是做隨駕遷轉的人。後來沒半年之間,直抬舉高俅做到殿帥府太尉職事。
<卻說 quèshuō>は決まり文句。
[now the story goes] 旧小说的发语辞,“却说”后面接着的多是重提上文说过的事。
<九大王差人來傳令旨>は<九大王は人を差し向かせて(来て)命令を伝えた。>。ここにも<來>がある。差、來、傳は独立した動詞で、これが中国語用法。誰が<令旨>を傳(伝)えたのか?
孤欲索此人做親隨,如何?
哲宗皇帝晏駕
<晏駕 (yànjià)>は想像がつくが、帝王、皇帝、天子の死去だ。
冊立端王為天子,立帝號曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。
哲宗に子がなかったため弟の端王が帝位につき徽宗となる
哲宗: 神宗第六子(1077年生-1100年死)
徽宗: 神宗十一子(1082年生-1135死)
<玉清教主微妙道君>がよくわからないが、
三清,即玉清、上清、太清,乃道教諸天界中最高者,玉清之主為元初天尊,上清之主是霊宝天尊,太清之主乃道徳天尊。這三清尊神乃是道教中,世界創造之初的大神,故號稱三清道祖。(baike/baidu)
という解説があり。儒教でも仏教でもなく道教皇帝だったようだ。中国絵画愛好家の私としては芸術愛好だけでなく自らも独自の画風を持つ画家皇帝の徽宗について書きたいところだが、別の機会にゆずることにする。
朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。
ここでは<朕>がでてきた。したがって<>は皇帝用語か? <抬>は
指守衛、開拓或治理邊疆所立下的功勛
で、いわば辺境での殊勲、功績だ。<方>は<才>と同じで<xx してはじめて>。したがって<但要有邊功方可陞遷>は<だが、辺境での殊勲、功績があって初めて昇進ができる>ということ。
端王大喜,那肯放高俅回府去,就留在宮中過了一夜
ここでまた<去>が出てきた。<肯>は肯定でここは<許す>の意。<(端王は)高俅を自由にして(駙馬)府に戻させ去らせた>。だが続く<就留在宮中過了一夜>は端王を主語とすると<就(そして)一夜宮に留め置いた>なので、意味が合わない。ここで<>は<その、あの>ではなく接続詞だ。
那 nà
表示順着上文或上句話的語意,申説応有的結果〖in that case〗。如: 那我就不再等了
この例文にあるように<那>と<就>は相性がいいが、基本的に順接関係だ。したがってここは<端王大喜(端王は大喜び)、那(そこで)高俅を自由にして(駙馬)府に戻って行くことを許し、就(なおかつ)宮中で一夜過ごすことを許した>といったことだろう。続く話では高俅は(駙馬)府に戻らなかったことになっている。
排個筵會,專請王都尉宮中赴宴。
<排> は前に説明した按排の<排>。<筵會>は<集會宴請賓客>、いわば招待パーティ。
<專>は<もっぱら>。このパーティの目的は次に出てくる。
14)卻說王都尉當日晚不見高俅回來,正疑思間,只見次日門子報道:『九大王差人來傳令旨,請太尉到宮中赴宴。』王都尉出來見了幹人,看了令旨,隨即上馬,來到九大王府前 ,下了馬,入宮來見了端王。端王大喜,稱謝兩般玉玩器,入席,飲宴間,端王說道:『這高俅踢得兩腳好氣毬,孤欲索此人做親隨,如何?』王都尉答道:『 既殿下欲用此人,就留在宮中伏侍殿下。』端王歡喜,執杯相謝。二人又閒話一回,至晚席散,王都尉自回駙馬府去,不在話下。且說端王自從索得高俅做伴之後,留在宮中宿食。高俅自此遭際端王每日跟隨,寸步不離。未兩個月,哲宗皇帝晏駕,沒有太子,文武百官商議,冊立端王為天子,立帝號曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。登基之後,一向無事,忽一日,與高俅道:『朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。』只是做隨駕遷轉的人。後來沒半年之間,直抬舉高俅做到殿帥府太尉職事。
<卻說 quèshuō>は決まり文句。
[now the story goes] 旧小说的发语辞,“却说”后面接着的多是重提上文说过的事。
<九大王差人來傳令旨>は<九大王は人を差し向かせて(来て)命令を伝えた。>。ここにも<來>がある。差、來、傳は独立した動詞で、これが中国語用法。誰が<令旨>を傳(伝)えたのか?
<幹人>は
府吏、辦事員。水滸傳.第二回:「寫了一封書呈,使個幹人,送高俅去那小王都太尉處。
とある。
孤欲索此人做親隨,如何?
頭の<孤>は天子、皇帝などが自分のことをいう<私、我>。日本の天皇は<朕(ちん)>と言う(言っていた)。
<索 suǒ >は
1. 大绳子或大链子:~子。~道。钢~。绞~。线~。
などの意味がある。ここは3.討取,要。
<王都尉自回駙馬府去>。この前に少してこずった<端王大喜,那肯放高俅回府去>があった。<去>の用法に注意。
<索 suǒ >は
1. 大绳子或大链子:~子。~道。钢~。绞~。线~。
2. 搜寻,寻求:~引。思~。搜~。探~。
3. 讨取,要:~还。~求。~取。勒~。
などの意味がある。ここは3.討取,要。
<王都尉自回駙馬府去>。この前に少してこずった<端王大喜,那肯放高俅回府去>があった。<去>の用法に注意。
<不在話下>も決まり文句。
[need not be mentioned]∶ 指事物軽微, 不値得説, 或事属当然,用不着説。哲宗皇帝晏駕
<晏駕 (yànjià)>は想像がつくが、帝王、皇帝、天子の死去だ。
冊立端王為天子,立帝號曰徽宗,便是玉清教主微妙道君皇帝。
哲宗に子がなかったため弟の端王が帝位につき徽宗となる
哲宗: 神宗第六子(1077年生-1100年死)
徽宗: 神宗十一子(1082年生-1135死)
<玉清教主微妙道君>がよくわからないが、
三清,即玉清、上清、太清,乃道教諸天界中最高者,玉清之主為元初天尊,上清之主是霊宝天尊,太清之主乃道徳天尊。這三清尊神乃是道教中,世界創造之初的大神,故號稱三清道祖。(baike/baidu)
という解説があり。儒教でも仏教でもなく道教皇帝だったようだ。中国絵画愛好家の私としては芸術愛好だけでなく自らも独自の画風を持つ画家皇帝の徽宗について書きたいところだが、別の機会にゆずることにする。
朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。
ここでは<朕>がでてきた。したがって<>は皇帝用語か? <抬>は
抬 tái
1. 举(舉),提高:~頭。~手(喻通融宽恕)。
で<抬舉>は同じような意味の動詞が並ぶ語法だ。
先教樞密院與你入名。』
先教樞密院與你入名。』
<但要有邊功方可陞遷>は<但要有邊功、方可陞遷>と」読む。
『朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。』
『朕欲要抬舉你 ,但要有邊功方可陞遷,先教樞密院與你入名。』
<邊功>は
で、いわば辺境での殊勲、功績だ。<方>は<才>と同じで<xx してはじめて>。したがって<但要有邊功方可陞遷>は<だが、辺境での殊勲、功績があって初めて昇進ができる>ということ。
先教樞密院與你入名。
樞密院は軍事の最高意思決定機関。<教>は使役的な意味で(させる)。<樞密院に君の名を入れさす>だが、<與>(前に出て期は<に>相当)があり、<樞密院をして君にその名を入れさす>といった言い方だ。
<隨駕>は
随从帝王的车駕; 指跟随帝王続く<遷轉>は <官員升級>。
<只是做隨駕遷轉的人>の<只是>は
1. [merely; simply; only]∶ 僅僅是
我来找你,没有什么要紧的事儿,只是拉拉家常罢了。
2. [but then ; however]∶ 但是
で、ここは2.但是だ。<只>もともと<だけ>の意味だが<2.但是(しかし)>への意味の変化がある。これは<不過>にも言える。<不過>は文字通りでは<過ぎ不(ない)>だが、今は大体<しかし>の意味で使われる。
直抬舉高俅做到殿帥府太尉職事
<殿帥府太尉>は職名。高級武官だ。
解説が長くなってきたので、続きは次のポスト。
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